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2009-02-02

浅草で焼肉!

先日、浅草で焼肉を食べました。


上野とか浅草って、焼肉屋が多いんですよね!

有名なお店も意外と多いです。


で、大昌園というお店に行ったんですが、想像以上に旨かったです。

ちなみに、名前が似てますが太昌園さんとは全く別のお店ですよ。


私は、焼肉といえばカルビなんですが、ここのカルビ(塩)はメチャクチャオススメです!

味とコストパフォーマンスを総合すると、ここまでのお店はなかなか無いんではないでしょうか?


ただ、場所がかなり分かり難いので、興味のある方はよく調べてから行ったほうが良いかも(笑)

あと、無煙ロースターではないので、匂いが付くのが困る日は行かれないかな?


ちなみに、10人ちょっと入ると満席の小さいお店ですよ。

けしてキレイなお店ではありませんが、友達に教えたくなるお店です!
2008-09-10

サンバ♪

この前、浅草はサンバカーニバルにだったんですね。

天気が良くなかったみたいですが・・・


浅草といえば「江戸下町情緒」というイメージがありますが、実は大の新しもの好きなのが浅草ッ子の気質でもあるそうです。


明治・大正時代には、日本最初の映画館や水族館、サーカスなどでも賑わっていたのですが、昭和40年頃からしだいに繁華街は他の地域へと移っていきました。

そこで、浅草の新しいイメージをということで、ブラジルのサンバカーニバルを浅草のお祭りとして取り入れることが提案されて、浅草の商店会が主体となるサンバカーニバルが誕生したそうです。

浅草サンバカーニバルは、いまでは下町の夏を代表するお祭りのひとつにまでなったのです。

2008-05-07

三社祭

三社祭

もうすぐ三社祭ですねぇ!

例の神輿に乗る人の件で、今年は本社神輿の宮出しが中止になっちゃってますが…



三社祭(さんじゃまつり)は、毎年5月に行われる東京都台東区浅草の浅草神社の例大祭である。
かつては観音祭・船祭・示現会に分かれていたが、1872年から5月17・18日に行われるようになった。 現在は5月第3週の金・土・日曜日に行われる。正式名称は「浅草神社例大祭」。


浅草神社は明治に入るまでは浅草寺と一体であり、この時代には浅草寺の祭りとして行なわれていた。 神仏分離によって浅草寺と分離してからは浅草神社単体での祭りとなり発展したが、これは明治に入って以降のことである。
このことを表すかのように、江戸時代から謳われている江戸の大きな祭りを謳った狂歌「神輿深川(深川祭)、山車神田(神田祭)、だだっぴろいは山王様(山王祭)」の中には含まれていない。


旧幕以来の江戸文化の中心であった神田とも、隅田川以東の下町文化圏とも浅草は別個であるが巧妙に両者のイメージを利用してきた背景がある。文化圏について鈍感な行政やマスコミの影響もあり、その中心部は土地持ちの富裕層が多かったにも関わらず下町イメージで語られる不思議な町「浅草」の魔力といっても過言ではない。


但し、「観光宣伝色が強い」「浅草の内部での結束が悪すぎる」「各町神輿連合をヤクザ(指定暴力団住吉会系の浅草高橋組や中村会など)が組の宣伝に利用している(昔は酒をタカリにしか来なかったが、現在では同好会を主宰)」など問題点も多く、地元民の全面的支持は受けているわけではない。2007年7月13日には、「三社祭でみこしを担ぐ同好会30数団体のうち、約7割で暴力団員が代表になって」いると報じられた[1]。祭りが暴力団の資金源になっているものとみられている。祭りには刺青をした男性が多く参加している。
2008-03-27

江戸前ってなんだ

江戸前とは

東京湾で取れた魚介類のこと。元々は江戸城前の意で品川沖界隈で取れたものを指したが、のちには東京湾で取れたものすべてをいうようになった。(用例:「江戸前の魚」など)
上方に対して、江戸の流儀、やり方のことをいう。(用例:「江戸前寿司」など)


「江戸前」の定義

古くから"どこで取れた魚を江戸前と呼ぶか?"という定義はあいまいなままであり、そのため各方面から主張がなされ、さまざまな議論が繰り返されてきた。

その議論に終止符を打つため、2005年8月、水産庁の「豊かな東京湾再生検討委員会食文化分科会」は、江戸前を「東京湾全体でとれた新鮮な魚介類を指す」と定義付けた。(ここでいう東京湾は、三浦半島の剣崎(神奈川県三浦市)と房総半島の洲崎(千葉県館山市)を結ぶ線より内側の海域)

同分科会は定義付けの理由について、「江戸前とは本来江戸城の前という意味であり、羽田沖から江戸川河口周辺の沿岸部を指すものであった。

しかし現在、このあたりの海域では漁業はほとんど行われていないことから、江戸前の定義を東京湾全体に拡大した。」と説明している。

また議論の折、観音崎(神奈川県横須賀市)と富津岬(千葉県富津市)を結ぶ線より北側の東京内湾のみを江戸前とすべきという意見も出されたが、内湾と外湾を行き来する魚が多いこと、江戸前寿司と呼称される寿司には外湾で取れる魚介類もネタに含まれていることなどを理由として、東京湾全体を江戸前とする結論に達している。
2008-03-22

江戸っ子といえば

現在、江戸っ子・下町といえば、やっぱり浅草あたりを思い浮かべる人も多いのかな。

この日記を書こうと思ったのも、最近浅草に引っ越してきたっていうのも理由のひとつ。


だいぶ引っ越し作業とかも落ち着いたので、明日は久しぶりに浅草でもふらついてみようと思っている。

日曜日に浅草、おもいっきり観光客だ。。。(笑)



浅草

浅草(あさくさ)は、東京都台東区の一地区。浅草一丁目から七丁目まで存在する。


「吾妻鏡」の1181年(養和元年)の条に浅草の名が見える。

古くから浅草寺の門前町として栄えていた。また江戸湊や品川湊と並んで、武蔵国の代表的な港である浅草の港が、石浜(現在の台東区橋場)や今津(現在の台東区今戸町)にあったとされる。


江戸時代には、明暦の大火(1657年)の頃、新吉原遊郭が。

天保の改革(1841年)では遠山金四郎により、芝居小屋が浅草に移転してきた為、仲見世が発展し、後の一大繁華街となるきっかけになった。


明治時代には東京市15区の名前の一つに「浅草」が採用された。

また浅草寺を中心とした地域を明治時代に公園化し東京初の都市公園である浅草公園となった。

浅草公園を6つの区に分けたことから、浅草公園六区ともよばれた。

なおこの言い方はその中で一番にぎやかだった地域である第六区のみを指す場合が多い。


明治時代に凌雲閣(通称十二階)などが建てられ、江戸以来の繁華街として新たに演芸場や芝居小屋等が建ち、東京庶民の歓楽街として知られるようになった。

関東大震災以降の興行界は、松竹の進出が本格的となり戦前の昭和においては有楽町に進出した東宝と覇を争った。

戦後は松竹歌劇団(SKD)の本拠地である国際劇場やロック座、フランス座などのストリップ興行で賑わった。


また、関東大震災後から第二次世界大戦前までに東武線及び地下鉄銀座線が乗り入れた。

今は下町らしさを主とした観光地としての側面の方が大きくなってきている。
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Author:EDOKKO
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